コンポンチャム〜スヌール〜プノンペン
後日談: 後にクラチェ在住の日本人(この人の家に遊びに行くのが目的だった)に訊ねてみると、クラチェからスヌールの道はとても良い状態で、早ければ2時間弱で到着するという情報を得た。2時間だったら行けばよかった‥‥。これだから現地住民の情報は全くアテにならない。皆さんも地元住民の話は50パーセント割引で聞くようにしましょう。 |
2日目コンポンチャムからスヌール(141キロ) 早朝7時。昨日の草が‥‥いや酒が残りすぎて朝メシも食えないままコンポンチャムの宿を出る。そのまま昨日の渡し船で対岸に戻り、同じ道をしばらく引き返す。昨日の分かれ道から先は、いきなり舗装道が途絶え、ゆるやかな斜面を飛びはねながら進むようなベコベコの道にかわる。それでも現地の人はチャリでキコキコ走っているから大したものである(ときどきコケてる人をみかけるが‥‥)。 斜面を登りきったところに、これから先、クラッチェ方面に陸路で行く車のための補給基地の様な町がある。ここで腹がへったのでメシを食ったのだが、実はなんだかんだでカンボジアにもう3年近く関わってますが、ここのメシがカンボジアで一番うまかった。別に腹がへってたからとかではなく、味つけといい、材料といい、感動ものだった。 店の主人はオバさんで、一見色が黒いのでカンボジア人だとばかり思っていたらバリバリの中国人で、クメール語はほとんどわからないようである。それでもこんな僻地で商売してるんだからすごい。料理というものは偉大である。 この後、プレイ・ノコールという遺跡に行こうとしたのが、そもそも間違いの始まりだった。通行人に尋ねると、ちょうど尋ねたところから横道に入っていけばすぐだと言う。すぐなんだねと安心したあと、田んぼの脇の横道に入って2〜3キロ進んだところにショボい寺があったので、なんだここなのかと思うと、寺の近所の人いわく、ここからワケのわからない変な道をさらに12キロも先にいったところにあるという。これだからカンボジア人の距離感はアテにならない。自分の生活圏外のことについての無関心さは感動に値するが、時にこういうことで迷惑する。 おまけにその12キロがほとんど砂地だった。砂地は苦手なのにダラダラ続きやがり、何度もコケそうになった挙げ句、12キロ走ったところに集落があったので尋ねてみると、上半身裸のオヤジを含む村の人々はなにを言ってもニコニコしながら頷くだけ。 ダメもとでウロウロしていると、ようやくそれらしい寺を発見。寺そのものはショボいが、横に煉瓦で作ったらしきかなり古い建物があり、巡礼のようなカンボジア人の一団もいた。しかし1時間近くもかかって探しあてた割には、どうしようもない遺跡である。これならトキワ荘の跡地でも見たほうが感動するかもしれない。 いいかげん来た道を戻るのはイヤだったので、そのまま寺に沿った村の道をどこまでもまっすぐ進み、さきほど横道にそれたポイントからかなり先の地点に出ることができた。しかしここからまだ先は長すぎる。今日中にクラッチェに着くことはできるのだろうか。 この辺りにくると、バイクを停めて写真撮影のできるような場所すら無くなってきた。それほど道はすごい。ほとんど道とは言えない代物である。半径2〜3メートル。深さ1メートルほどの穴が無数に開いていて、その間をすり抜けてゆくのだが、まれに2メートル近くもある脱出不可能な亀裂もあり、三回以上はまりそうになった挙げ句、恐ろしさと注意力の限界で時速30キロほどのスピードしか出せなくなってしまった。そのうち慣れて、それなりのスピードで走れるようにはなったが‥‥それにしても、ランクルも見かけないようなところを、10年前の中古のカムリで走っている奴等がたまーにいるから恐ろしい。彼らも穴を避けるのにムチャクチャな進路をとっており、うかうか横を走っていると、いきなり幅寄せされ、ぶつけられそうになるので注意。奴等も前にしか神経が集中していないようである。 さて、そこからまた更に30キロほど進んだところに、ベトナム国境に続く横道があるというので、ついでにそれも見てみることにした。横道に入るところで飲み物屋を開いているオバさんに聞くと、ここから12キロ先がボーダーだという。 本当はさっさと先に進みたい気持ちが80パーセント以上を占めていたのだが、ここまで来たら見に行ってみたいものである。さっそく、横道に入ると、いままでの冗談みたいな悪路がウソのようにまっ平らに変わる。ベトナムに対する見栄なのか、国境沿いの道だけは整備しているのかもしれない。 お陰で15分ほどで国境に到着。途中、どうでもいいが両側が地雷原になっていて、もしなにかの弾みで道の外に外れたら死ぬしかないなあ‥‥などとイヤなことを考えていたが、結局のところ、国境までなんの障壁もなかった。 国境地点には三軒の小さな建物があり、一応制服を着た役人が詰めている。ただし、利用している人など皆無で、皆ひまそうに賭けトランプをやったりしながら時間を潰していた。当然ながら、ビザやパスポートについての知識もあまりないようで、、ベトナムに行ってもいいか?と聞くと、パスポートあればいいよ!と二つ返事だった。が、ベトナム側は恐らくここまでアバウトではないと思うので、国境越えは断念して再び12キロの道のりを引き返すのだった。 戻ってからの道がなおさらすごかった。メーモットという町の手前だけ、多少マシになったが、そこらに事故って捨てられた車体がボコボコ棄てられており、穴はいよいよ強烈になる。ここから先、シートにすわれるのは極まれで、あとはほとんど立ちっぱなし。道路の真ん中に大穴が開いていて、穴の中に巨大な丸太が棄ててあるという、ほとんど嫌がらせ同然のところもあった。 足はガクガク。手は真っ赤になっている。そんでもって、余計な寄り道を二カ所もしたせいか、ガソリンがそろそろ切れそうな気配もする。もともとたった8リッターちょいしか入らないので、給油はこまめにしなければいけなかったのだが、田舎の道ばたでコーラの空き瓶に入れて売っているガソリンを入れるのは、できれば極力避けたいので(入れると次の日、エンジンのかかりが極端に悪くなる)、こうした草スタンドを見かけても無視していたわけだが、いまではその路上スタンドすら、すっかり姿を消してしまっている。 ペトナム国境を抜けて、再びどこかのゴム園へ入ってしばらくしてから、プスプス音が聞こえるようになったので、ここですでに予備タンクにしていたのだが、もうそこから30分近く走っている。そろそろヤバいかもしれない。 穴から穴へジャンプしながら前進しているわけだが、平地ばかりだった風景が姿を消して、ゆるい勾配の坂道を、穴を避けつつぴょんぴょん跳ねていたら、突然後ろから「ガシャン、ガシャン」というイヤな音が定期的に聞こえてくるようになった。 慌てて降りてバイクを調べても、どこにも異常はなく、原因はなんだか分からない。でも音はする。良くわからないが、工具もなにも無いので、別に原因がわかったとしてもどうしようもない。仕方なくそのままピョンピョン進んでいると、突然後ろから「ゴキッ」というすさまじい音がして、荷台に積んでいたはずの荷物が背中にブチ当たった。 急停車してみると、荷台から下の部分がそのまま取れて、あるべきところには何もなかった。荷物はシートの上に偶然のっかっていたが、取れてしまった部分は辛うじてなにかのボルトにひっかかり、シートの後ろからぶら下がっている。接合部分を良くみると、フレームにヒビかなにか入っていたようで、それがこの悪路でどんどん広がり、ついに折れてしまったようだ。 次の町に鍛冶屋があれば、溶接してもらおうと思い、荷物はそのまま背中に背負って(3日分の着替えとせっけんとタオルだけなので軽い)、そのまま100メートルほど走ると、こんどは横のカウルとシートそのものが突然はがれはじめ、まさに「走りながらバラバラになってゆく状態」。このときばかりは途方に暮れた。 クラッチェまで行く気は、この時点でさらさら無くなっていたが(道はもっとひどいらしい)、スヌールまで無事たどり着かなければそろそろ夜になってしまう。とりあえず仮止めのため、荷造り用のゴムひもで外れた箇所をグルグル巻きにして、いざ再び出発。 幸いにも、バラバラになった場所から3〜4キロも進むと、スヌールの町に入った。川もなにも無いため、物資や人はクラチェやコンポンチャムよりも近いベトナムから流れているという。 町の片隅には軍の基地があり、あとは小規模な商店とバイク修理屋が何軒かあるくらい。とりあえず中心部の食堂で情報収集すると、クラチェまでの道(85キロ)にはしばしば強盗も出るらしく、ピックアップトラックで8時間近くもかかるらしい。ってことは時速10キロ余りで進むわけで、これでは強盗も襲い易いだろう。最初はコンポンチャムかクラチェまで、大型の車にバイクを陸送してもらい、そこからフェリーでプノンペンまで行こうと考えていたが、あまりにも彼らの言い値が高いのと、無くなっている部品がほとんど無く(ボルトは数本消えていたが)、溶接さえすれば元通りとまではいかないものの、近い状態にまでは復元できそうな気がしたので、まずは近所のバイク修理屋で分解してもらい、完全にバラけた状態で近所の溶接屋に持っていく。 溶接屋でネジ穴の部分二つと折れた部分をガス溶接してもらう。もちろん折れた箇所には心棒を入れてもらい、再び折れないようにしてもらった。二時間近くもかかって、完成したのは夕方暗くなってからだったが、バイクはほぼ元通り。ところどころ折れたときにキズのついた部分もあるが、まず近くで見ただけでは気がつかないほどキレイになった。これならクラチェ行きも完全にオーケーだが、完全に疲れ切っていたうえに、明後日プノンペンで予定を入れていたので、この町で一泊して明日の朝、プノンペンに帰ることにした。 スヌールの町にホテルは無い、あるのはカンボジア語で「プテァソムナッ」と言うゲストハウスばかり。しかもその大半は元売春宿のような作りで、扇風機すら無い。宿のババアは「田舎は涼しいから扇風機なんかいらないのよ」と胸をはって言うが、そうはいかない。 探した挙げ句、言い値13000リエルの宿が12000に負かったので、そこに泊まることにした。部屋はまずまずで窓と扇風機と蚊帳があり、マラリア蚊(このへんは多いので注意するべし)も安心だ。用心のため殺虫剤も持参したが、寝る前にひと吹き使っただけであった。ちなみに電気は夜7時から翌朝6時まで供給されているとのことである。 バイクは15000リエルでほぼ元にもどり。あとの憂いはなにもない。ひまなので夕方から夜にかけて町をウロウロしてみることにした。夜9時ごろから、町の一角が非常に賑やかなので見に行ってみると、そこには50名ほどの人垣があり、皆、車座になってバクチに熱中していた。そんでもってその真横では、子供ばかりやはり50人ほどがバクチをやっている。掛け金は少ないものの(1回100〜200リエル)しっかり金をかけており、なんだか暗い気持ちにさせてくれる。 売春宿も、小さい町にしては沢山あり、町はずれと中心部にそれぞれ6軒ほど店を開いていた。プノンペンでは禁止されているピンクの蛍光灯も健在だったが、女の子はここもおかめ納豆のような娘ばかりで、どうやら顔のかわいい女の子は皆プノンペンに送られてしまうような雰囲気。値段を聞いたら1発5000リエルだったが、もちろんそんな元気は微塵も無いので、早々に寝ることにする。 3日目スヌールからプノンペンを一気に突破(270キロ) 朝5時半に目がさめる。田舎の朝は早いと聞いていたが、皆もう起きて仕事をはじめている。急いで水浴びして、荷物をまとめ、ゲストハウスをチェックアウトし、中心部のカフェでコーヒーと鶏メシを食べる。店のあちこちにベトナムのポスターが貼ってあるので、もしやと思いきや、店の主はベトナム人のお爺さんだった。聞くともう八年もベトナムには戻っていないという。「コンニチハ」という日本語を知っていて、ちょっと感動。こんな僻地で一生話す機会が無いかもしれない言語を覚える老人。まさにアジアである。 帰りのペースは異常に飛ばし気味で、来るとき8時間近くかかった道のりを5時間で走破。コンポンチャムには昼前につき、そのまま日系企業が修復している国道5号線をつたって、プノンペンには夕方にたどり着いた。 というわけで総論だが、1週間ほどかけてのんびり行動するならまだしも、短期間で田舎をまわるのは、もう死ぬまでやりたくないというのが率直な感想である。尻は丸2日間痛み続けた。 |