プノンペン〜コンポンチャム〜スヌール (約270km)
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1日目プノンペンからコンポンチャム(130キロ) 本来ならばメコン川沿いの町・クラチェまで行く予定だったが、色々と訳あってスヌールで帰ってきた。なぜかは見ていただければおわかりになると思うので特にここには記さない。 とりあえずクラチェに行くための中継点となるコンポンチャムへ向かうことにする。ここはフンセン首相の出身地でもあり、そのため田中角栄の方程式で町の景観はカンボジアでも有数の美しさを誇っている。昔一度だけバイクで行ったこともあるが、そのときは国道5号線を使った。今回、同じ道を使うのもナンなので、ベトナム国境に続く国道1号線から、横道を使って行ってみることにした。 プノンペンのメインストリートとなるモニヴォン通りをひたすら南下すると、ロータリーと通称ベトナム橋と呼ばれる大きな橋が見える。この橋の向こう側から、ベトナム国境のモクバイまでを結ぶのが国道1号線である。橋を越えると、そこはベトナム行き乗合いバスのたまり場になっていて、かなり交通量が激しくなる。 乗合いバスの客引きを横目で見ながら、国道1号線をベトナムに向けてひたすら走る。休日は現地住民のたまり場となっている、常磐ハワイアンセンターのような場所・キンスワイを抜けると、それまで赤茶色ばかりだった景色が、徐々に瑞々しくなってくる。なかなか素晴らしい風景なのだが、ここいらへんはベトナム行きの車両がバカみたいに飛ばしまくるために、おちおちスピードも落とせず、車の流れに従っていたらまともな写真が遂に撮れなかった‥‥。 このへんは道にも穴はほとんど無いといって良いほどキレイで、気をつけるのは通行人と牛ぐらい。牛もキンスワイを抜けるまでは居ないので安心してオーケー。ただ、ベトナムに向かう乗合いバスのなかには、助手が車の外にへばりついて(車は普通の軽ワゴンだったりする)、上海雑技団さながらのパフォーマンスをみせながら爆走しているものもあり、気をとられて対向車に気が着かず、死にそうになることもあるので注意したい。 そんでガンガン走ると、突然正面に川が見えてくるはず。国道1号線はこの川に遮られているので、ここからは20分ほどかけて渡し船(フェリー)を使い、川を渡ることになる。乗り場横のチケットブースでチケットを買ったら、適当な場所で待っていればオーケー。ちなみに小型バイクや人間は横のゲート内に入れられてしまうが、中型バイクや車は適当な場所に陣取っていても問題ない。 フェリー内部は物売りからの攻撃が激しいので、気の短い人は注意が必要である。べつにあっちも悪気があってシツコイのではなくて、売らなければ今晩の晩飯のおかずが塩になってしまうからシツコイのだ。そう思って余り邪見に扱わないでいただきたい。 この川沿いの町はバナムと言う。通過する車やバイクが買うガソリンと清涼飲料水と飯の売り上げだけで成り立っているような閑散とした雰囲気のところだが、どこにいても子供の笑顔はいいものである。 バナムの町で休憩することにした。国道1号線から、コンポンチャムへ向かう一般道路に曲がり、少し進んだところにある飯屋に入り、鶏飯(バイモアン)とコーラを飲む。鳥飯は老衰で死にかけた鶏のもも肉が3きれ入っているだけのさみしいものだったが、値段が1500リエル(40円くらい?)と聞いて、まあこんなものかと思う。コーラの値段は忘れたが、缶で2000リエル程度だったと思う。ちなみに雑貨屋で買うと1500リエル。まあこういう店で飲めば氷もくれるし、まあこんなものだろうか。不思議なことにコカコーラに限っては、どんな田舎に行ってもだいたいプノンペン周辺と同じ値段だった。日本の観光地で高い飲みものを売っている人々に見せてやりたい光景である。 ちなみに店のオバさんに「クラッチェまで行くよ」と言うと、オバさんは伏し目がちに「遠いし、暑いわよ」と嫌なことを言ってくれるのであった。そうこうする間も店の脇を大型トラックが何台か通ったのだが、そのたびにもの凄い埃が辺り一面を包み込み、視界が一気に遮られる。これじゃこの先どうなるのだろうか。 バナムを出ると、未舗装道路がしばらく続きガックリさせられるが、間もなく道は舗装道路に戻り、しかも交通量が少ないためにコンディションは最高。120〜130キロで快適に走行できる。但し牛には注意。 そうこうするうちに、中規模に栄える町・ブレイベンに到着。ここはバナムとコンポンチャムのちょうど中間地点にあたる。 ブレイペンは予想よりも立派で、しかも水が豊富なためか、カンボジアの田舎町にしては珍しく活気があった。小さな商店街もあって、写真の現像所や英語塾らしき店もある。商店街を抜けると市場があり、その向こうは土手になっていて、かなたには水田に沿った運河が、地平線のかなたまでまっすぐと続いている。 運河には船がひとつ浮かんでいた。通行人に聞くと、プノンペンまで行くらしい。なにを運ぶのか謎だが、とりあえず喉がかわいたのでやる気の無さそうな食堂に入ってコーラを頼んでみると、予想通り出てきたのはベトナム製のコーラだった。これから先、死ぬほど寂れたど田舎まで行くのだが、ペプシはともかく、コカコーラ以外の、しかもベトナム製の怪しいコーラが出てきた店はここだけである。 プレイベンを出ると、再びなにもない一本道が続く。引き続き道の状態は最高で言うことなし。そのうち余りにまっすぐな道が続きすぎてだんだん眠くなったので、緊張感を養うために適当な集落で休憩をとることにした。 カンボジアの集落には、早朝、市場になる場所が必ずあり、そこには、やって来たオバさんたちが肉や魚や野菜を並べて座る屋根つきの台が必ずある。少々肉や魚臭いのが気にかかるが、この台をちょっと借りて30分ほど横にならせてもらうことにした。 乾燥しきっているので臭いはあまり気にならないけど、所有権のよくわからないブタやニワトリがそこら中にウロウロしていてとても気が散る。なかには体重100キロを越すだろうブタも遊び回っていて、停めてあるバイクが心配であまり休憩にならなかった。 インドやバングラデシュでこんなところに目立つバイクを停めて寝ていたら、それこそ一万人くらい野次馬が出てきそうだが、カンボジアのいいところはその無関心さにある。意図的に無視してくれているのかはともかく、プロテクターつけて完全装備の男がいきなり村の真ん中で昼寝を始めたら、ガキの一人でも寄ってきてよさそうなものであるが、結局このときはブタが2〜3匹まわりで動き回っているだけで、人間はひとりも寄ってこなかった。かといって遠巻きに見ているわけでもなく、完全に無視されているような気がしてちょっと感動しました。 ‥‥と、ウヒャウヒャ喜んでいたのもつかの間、某日本企業が後押しするゴム園に入ると、事態は一変する。両側に幹の白いゴムの木が並びはじめ、景色はとても美しいのだが、それに反して道はいきなり天国から地獄へ‥‥。 どうもゴム園に出入りする大型車が多いようで、そのためここから先はボッコボコの穴だらけ。さらにしばらくすると舗装は完全に途絶え、起伏は激しくなる。そんでもってこのゴム園はかなり大規模なようで、なかなか抜け出せないのにも困った。 しばらく走ると、道はまた舗装路に戻り、ホッとひと息ついたところで突然突き当たる。この突き当たりの町が、クラチェに向かう国道7号線と国道1号線からのびる道が交差する地点で、ここを右に曲がるとクラチェ、左に進むとコンポンチャムに行くことができる。なんだか休み休み来たために時刻はとっくに昼すぎになっており、これからクラチェまで行くのは逆立ちしても無理そうなのでスッパリあきらめ、一度コンポンチャムの町に入ることにした。 コンポンチャムへの道は、丘陵のてっぺんに作った、両側が崖になっている道を使う。この道自身とっても狭くて、そのうえ所々陥没している場所があり、そこに目印がわりの柱が埋めてあってスピードを出すと非常に危険。さらにコンポンチャムに近づくにしたがって、対向車が頻繁に現れるのだが、それがまた旧ロシア製の大型トレーラーで、黒煙を吐きながらライトをビカビカパッシングしつつゴゴゴゴゴと近づいてくると、どうやってすれ違ったらいいのか考え込むヒマもなく、死の恐怖すら感じる。現地のおやじは荷台に生きたブタを四匹運んだり、直径1メートル近い丸太を30本ほど束ねたものを載せて、平気な顔してすれ違ってはいるが、奴らとわたしでは命の単価が違いすぎるので、これは参考にはならない。 そういえばこの道で、いかにもヤバそうな連中三名に呼び止められた。皆ヨレヨレのなんだかわからない軍服姿で、通りざま「ウオーイ!」とわけのわからない大声で呼ばれたのだが、ピストルを出して銃口向けられたならともかく、この段階で止まるバカはいない。どうせ食い扶持のない兵隊くずれが、小遣い稼ぎに通りがかりのバイクを止めてインネンをつけているのだろう。 かわいそうなことに、既にわたしの前に一人、カブに乗った兄さんが止められていて、兵隊の一人にグダグダ言われて顔を下に向けていたが、わたしはその真横をズババババと通りすぎ、そのまま去っていった。あのカブの兄さんはまだ生きているのだろうか。 突然話はかわるが、こうしたモグリの検問で、相手が表立って銃やライフルを持っていない場合、たとえ呼び止められたとしても、逃げられそうな雰囲気ならば、気づかないフリをしてそのまま立ち去るにかぎる。止まってもまずロクなことはない。 こんな時のために、バイクのタックスペーパー(プノンペンでバイクを買うと、盗難車で無い限り必ずくれる)と身分証明書(パスポートのコピー)、それに情報省に行けばサルでも作れるカンボジアのプレスカードを持っていたが、ほかにも国勢調査機関のステッカーなど、思いつく限り言い訳の材料になりそうなものを持参した。ただ、基本は止まらないのが一番である。もしあなたがこうした場面で捕まり、パスポートやタックスペーパーを要求されても、絶対に本物は渡さないこと。渡せば相手の思うツボだ。コピーを持参して、本物はプノンペンに置いてくるぐらいの心構えで行こう。 さて、道は再び突き当たる。ここから先は対岸にあるコンポンチャムの町へ再びフェリーで渡してもらうことになる。こちらの方が川幅が大きいからか、600リエルと朝にくらべて100リエルばかり高い。が、フェリーもその分立派なもの。物売りの数もグッと少ない。 フェリーに乗って約15分あまりで対岸に着く。フェリー乗り場から出ると、そこはもうコンポンチャムの町である。フランス植民地時代の建物がいくつか残り、中国風建築の商店街と微妙なコントラストをみせている。 さっそく市内のゲストハウスへ。コンポンチャムには大きなホテルも幾つかあるが、エアコンとテレビがあるだけで他は大差ない。別にCNNが見れるわけでもないし、夜はエアコンが必要なほど暑くならないので、素直に安宿を探す。 この町は売春宿が多いことでも有名(いまは摘発のおかげで減っているが)で、町には連れ込み用と思える一泊5000リエルという宿も沢山あったが、ひとまずベッドに虫がいなくて清潔なところという条件で、7000リエルの宿にする。壁に貼られた「銃・手榴弾・アイロン持ち込み禁止」の貼り紙が気になったが、窓もあって見晴らしも良く、涼しくてまずまず清潔なこの宿は大変快適で、時間があったら一週間くらい居てもいいくらいだった。 中規模の町にしては、非常におだやかである。田舎はほとんど金持ちが作った私設の電気会社に支配されていて、プノンペンよりも高い電気料金で、それも夜間しか電気が来ないものと相場が決まっているのだが、コンポンチャムほどの規模になると、よく停電はするものの、24時間電気が来ているようだ。 夜になって町をフラフラしてみたが、特筆すべきものは特に無かった。売春宿も少ないながら市内に数軒、そして郊外に数軒残ってはいたが、どこもおかめ納豆のような女の子ばかりでイマイチそそられない。というわけで、明日に備えて早々に眠ることにする。 |