プノンペンの怪事件



電気コードで縛られ‥‥

 12歳の少女には、信頼できる友人も家族もいなかった。タケオで生まれた少女の家庭は複雑だった。父親が三人もいたのである。

 少女の父は母親の三人目の夫だった。兄弟は皆それぞれ父親が異なったが、皆、学校にも行かせてもらえず、まともに読み書きすることもできなかった。

 彼女が12歳になったばかりの夜、22歳になる兄(二番目の父親の息子)が彼女の上にのしかかってきた。少女は叫び、助けを呼んだが誰も来てくれず、結局そのまま強姦されてしまうことになる。それからというもの、兄は近くに母親が寝ている時ですら、執拗に求めてくるようになったという。

 この出来事はすぐ村中に噂として広まり、恥ずかしさのあまり家にいられなくなった少女は、プノンペンの叔母さんを頼り家出することにした。

 プノンペンまでは無事にたどり着けたが、幼い頃、数回遊びにきただけの家を、記憶をたよりに探すのは少々無謀なことだった。いくら歩き回っても叔母さんの家は見つからず、そのうち日は沈み辺りは暗くなり、少女は心細さのあまり泣き出していた。

 そんなとき、一人の老人が少女に話しかけてきた。少女がワラにもすがる思いで事情を話すと、老人は大層哀れみ、ご飯を食べさせてから家に連れて帰り、寝る場所を提供してくれた。

 この老人は屑拾いをしていて、少女は翌日から、老人の子供とともに仕事を手伝うことになった。この時が一番幸せだったという。

 しかし、その幸せも長くは続かず、ある日、ささいな事で老人の家族と言い争いになった後、少女は着の身着のままで老人の家を飛び出し、再び一人ぼっちになるのだった。

 少女が公園で一人泣きぬれていると、やさしそうなカップルの男女が話かけてきた。彼らがとても親切そうだったので、ついつい少女が彼らの後についてゆくと、彼らは数日後、少女を無理矢理置屋に連れてゆき、200ドルで売ってしまうのだった。

 置屋では少女が逃げないよう、電気コードで手足を縛り、客がつくまで物置に閉じこめられていた。最初の客は五人の男で、連れていかれた家で順番に犯された。このため少女の局部には裂傷ができ、ショックで口もきけない状態に陥っていると、哀れに思った男の一人が病院に連れていってくれたが、大した薬も治療もなされなかった。

 ある日、同僚の女性に誘われ置屋から脱走することになった。少女はなにも考えず、ただ女性についていっただけだが、うまく逃れることができ、それからは寺で野宿する生活がはじまった。

 が‥‥しばらくすると持ち金が底をついたため、仕方なく元の仕事をするためディスコに出かけて客を探し、一晩五ドルで身体を売っているうち具合が悪くなり、病院で検査するとエイズに感染していることが判明、現在は児童施設に保護されているが、現在この施設には四百名の同じような境遇の子供が収容されており、引き取り手のないまま、ただ死を待っている。

(チャーミングな女性9月号)

従業員が強盗の手引き

 フランス資本のインドスエズ銀行が強盗に襲われた。かつてのフランス統治時代から、ベトナム・ラオス・カンボジア・タイなどに支店を持つ歴史の古い銀行である。

 事件があったのは一日の午後五時。盗まれた金額は、銀行側の発表で73万ドルにものぼり、さらに支店長が両足を銃で撃たれ負傷した。

 警察の調査によると、二年前に雇い入れた従業員が手引きしたものとみられ、この従業員は警備を担当していて、拳銃を携帯していた。銀行の警備員が強盗に変わるようでは防ぎようがない。

 警備員の名はフム・サマイ。その他四名の仲間が別室に隠れていた。事件当時、銀行には男女十名が勤務していたが、強盗が行内に隠れていることに気づいた者は誰もいなかったという。

 当日の業務が終わり、現金を黄色い袋に入れ、金庫に収納するため支店長の机の上に袋を置いたそのとき、隠れていた強盗たちが姿を現し、抵抗した支店長のジミーは足を撃たれた。

 黄色い袋を奪った強盗は、そのまま他の従業員からバイクの鍵を奪い、盗んだバイクで逃走。支店長のジミーはそのままカルメット病院にかつぎ込まれた。このとき、銀行裏にいた警備員は、まったく事件に気づかなかったというが、警察はこの警備員を逮捕して尋問を続けている。

(ラスメイカンボジア9月4日号)

爆弾三人組

 コンポンチャムでTNT爆弾を所持していた三人組が逮捕された。

 8月30日の夜、県庁の敷地内に入ってゆく不審な男三人を見つけた警備員が、警察に通報。男たちはそのまま逮捕された。

 警察が男たちの所持品を検査すると、電気コードや軍事用のTNT爆薬、工具などが次々と見つかり、彼らはそのまま署に連行され、尋問を受けることになった。

 三人のリーダー格とみられるロス・シター(35)は、尋問に対し「これらは大分前に寺の前の川で魚を穫るため手に入れたものだ」と言い、他の二人も口裏を合わせているが、もちろん信じてはもらえず、そのまま取り調べが続いている。

 有罪が決定すれば、爆弾・銃器の不法所持ということで六ヶ月から三年の実刑が言い渡されることになる。

(ラスメイカンボジア9月4日号)

あてつけに殺されたベトナム人

 四日の朝八時、プノンペンの70ストリートで、ベトナム人が食品に毒物を入れたと住民たちが騒ぎだし、近くに住んでいたベトナム人夫婦が撲殺された。

 この夫婦が、市場のお粥に毒を入れたのを見たという人が騒ぎ出したのが発端だが、後に警察が事実関係を調べると、市場でそのような騒ぎは無かったという。

 殴り殺されたベトナム人夫婦は、夫(35)、妻(23)。さらにこの日の昼には、天秤棒を担いでお菓子を売り歩いていた25歳のベトナム人女性が、暴徒と化した民衆に殴り殺されている。この事件があってから、街を歩くベトナム人の姿がぐっと少なくなった。

 人々は水の中に誰かが毒を入れた、野菜や果物に注射器で毒を入れた、と噂に踊らされているが、しかしいまのところ、毒物はどこからも検出されていない。

(ラスメイカンボジア9月4日号)

実の娘をレイプした父

 カンダール州に住むソ・ポー(13)は、実の父親に四回にわたってレイプされた。

 彼女の父親は兵隊でほとんど家におらず、家はとても貧しかったが、愛情豊かな母親に育てられたソ・ポーはよく家事を手伝い、母親と仲良く暮らしていた。

 父にレイプされるのはきまって白昼、家の裏の森に連れていかれ犯されたという。

 初めてのときは、父親が怖く、しかもそれから四度も同じことをされたソ・ポーだったが、母親に知れたら自分が捨てられるのではないかと恐れ、誰にも話せず一人で泣いているばかりだったが、身体に不調をおぼえたため、ある日決心して打ち明けた。

 母親は娘から事情を聞くと一緒に泣き、そのまま村の人に知れないよう黙って、プノンペンの病院へ娘を連れていった。

 その後、父が家に戻り、再び娘を裏の森に連れて行こうとしたが、今度ばかりは娘が激しく抵抗すると、まるで鬼のように真っ赤な顔をして怒ったという。それからすぐ、母親はソ・ポーを親戚の家へ養女に出した。

(チャーミングな女性八月号)

日本大使館にデモ隊

 四日、日本大使館にデモ隊の群衆が押し寄せた。群衆は大使館の開門を要求して騒ぎ、大使館側は側門を開き彼らの声明を聞いたという。

 内容は、七月に行われた選挙結果をもう一度見直せというもので、民主主義が実現するまであくまでも戦うとのこと。

 デモ隊はプノンペンにある主な大学の学生が中心で、王宮前に集まってから、そのまま日本大使館前まで行進してきたものである。

(ラスメイカンボジア9月5日号)




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