村のできごと
日本は天国のようだった‥‥
それが、プノンペンからポチェントン空港に降り立ち、空港から市内に向かう車のなかで、62歳の彼女が最初につぶやいた言葉であった。
テワダー(天国)。
「日本にはシクロも無かった。それに‥‥」
流れ行く見慣れたプノンペンの街角を見つめながら、彼女は自分に話しかけるかのように呟いていた。
約三週間の日本滞在。もちろん彼女にとっては初めての海外旅行である。
彼女はタケオの村に生まれ、ずっとタケオで育った。最初の夫は三人の子供を残して病死。再婚した二人目の夫もまた病死。彼女はタケオの町から出ることすらなかった。
いつしか彼女は、母親に教わった‥‥というよりは、周りが皆そうであるように、生活のため手織りをはじめていた。
村で、伝統のサンポットホールと呼ばれる絣(かすり)を織り続けてきた彼女を、クメール伝統織物研究所のワークショップの織り手として招聘してから、かれこれ約二年。いまでは研究所の中心的な織り手になっている。
日本の高島屋デパートの協力で「クメール伝統織物展」を開催。会場で織りを実演してもらうため、彼女にパスポートを準備した。
彼女は読み書きができない。いつも、給料の受け取りサインは丸印。でもパスポートだから、そんなわけにもいかない。だからそれらしいサインを練習してもらった。彼女はまた、自分の生年月日も覚えていなかった。これは係員が一月一日にしてくれた。
日本滞在中の彼女は元気だった。心配で、研究所の27歳になるスタッフを、特別に通訳をかねて連れていったのだが、プノンペン大学を卒業した彼のほうが、強いカルチャーショックを受けていたようだ。
滞在費の節約もあり、友人の空き事務所に寝泊まりした。そこには風呂が無く、銭湯に行くことになり、最初の日は知り合いの女性に頼んで同行してもらった。彼女は全然平気であった。
ところが27歳の彼は、恥ずかしがってパンツも脱げない。私が先に入っても、なかなか来ない。ついには番台の前で時間稼ぎの体操を始めた。
刺身も平気。なんでも美味しいと言って食べ、帰るころには日本語で「おいしい」と言えるようになっていた。
デパートの中での実演。気合いが入っていたのか、予定よりも早く布を織りあげてしまった。いつもは足元を鶏や子豚が走り回っている。そんな仕事場から、突如日本のデパートの売場にワープしてしまった。でも、そんな生活を楽しんでいるようですらあった。
見学者のなかに、少し変わった布の服を着てくる人もいた。そうすると彼女は、服の端を手にとって、布目を数えたりする。そんな自然な仕草が、織り手の好奇心をあらわしていた。彼女が見てきた日本は、どんな国だったのだろう。
クメール伝統織物研究所(IKTT)
森本喜久男