プノンペンの怪事件
橋本首相の秘められた愛人
中国からのニュースである。この女性の名前は「チュー」。通訳官をしている新鮮でチャーミングな女性で、学業を終えたあと軍隊で働いていた。
1974年、チューさんは北京警察の情報局に籍を置き、外国の情報処理と分析の仕事をしていた。1981年には優秀な仕事ぶりが認められて、担当局の責任者となっていた。このとき、チューさんは中国のスパイとしても働いていた。
1978年、チューさんは、日本語通訳の資格に合格、1982年に外務省の通訳官となり、84年には同僚の通訳官と結婚した。ご主人は在日中国大使館で働いていた。がしかし、しばらくした後二人は離婚している。
チューさんはそれから、あろうことか日本のHASHIMOTO(原文ママ)首相の妾として生活を続けている。MOTO首相(編集部注・橋本首相のことか?)と知り合ったきっかけは、外務省の日本語通訳として働いていたとき、MOTO首相と公私をともにしたことが発端だという。チューさんはそのとき、スパイをしていたので日本に行くことは許されなかった。
しかしいま、チューさんは日本に住み、MOTO首相から高価な贈り物をもらい生活している。チューさんはMOTOとの関係が公になることを非常に恐れている。それはMOTOが高い地位にいる人だから。
なお、MOTO及び自民党は、この記事を全面的に否定している。その裏で密かに調査に乗りだし、うわさが広まらないように人を派遣しているということだ。それはMOTOが自民党の総裁であり首相であるからだ。(チャーミングな女性1月号)
エイズで見放された女性
女性の病気は重く、骨と皮だけのように痩せ細り、ほとんど身体も動かせずに寝てばかりいる。彼女の名はヴォロク(20)。プノンペン出身である。
彼女は小さな声で言葉少なく語った。
「わたしに父母や兄弟はいません。小さな時に別れたまま、死んだのか生きてるのかすら知りません。わたしは養父母に育てられました‥‥」
病院で検査をした結果、エイズであることがわかった彼女はそのまま入院。医師は元気のない声でこう話している。
「この病院には、彼女のほか五名の女性エイズ患者がいます。そのほか八名の男性もエイズと診断されています。しかしベッドは六台しかなく、したがって重度の患者だけ入院することができます。彼女は特に悪く、いつも毛布をかぶって寝てばかりいます‥‥」
記者が話しかけると、彼女は弱々しく返事した。
‥‥わたしを育ててくれた養母は、意地悪で機嫌が悪いときは何時もわたしを叩いてうさを晴らしていました。最近ガマンの限界がきて、ついに家を出たのです。そのあと、全く知らないお婆さんに「マンゴを食べないか?」と誘われてたのでついて行くと、マンゴは食べさせてくれたのですが、そのあと500ドルで売春宿に売り飛ばされ、部屋に監禁されて毎日暴力をふるわれました。そのあとホテルで客をとらされることになったのですが、ある日、客で来た兵隊さんが同情して1万リエルをくれ逃がしてくれました。わたしはそのままバッタンバンへ逃げたのです‥‥。
そのバッタンバンで運悪くマラリアにかかり、激しい腹痛にみまわれて入院すると、エイズであることがわかった。
いまカンボジアはエイズに汚染されている。プノンペンで働く売春婦の40パーセントがエイズ感染者と言われている。おまけに新聞発表によると、西暦二千年には世界一のエイズ汚染国になるだろうと言われているのである。
原因はエイズに対する知識が無く、コンドームがほとんど使用されていないからということにある。自分のためだけではなく、汚染を防ぐ意味でコンドームを使いましょう。(チャーミングな女性5月号)
オバケ屋敷出現
昔からオバケ屋敷の話はたくさんある。誰も住む人がなく、持ち主からも見捨てられた家だ。オバケはそんな家の中で活躍する。
問題の屋敷は、70年代、ロンノル将軍によるクーデター時に使われていた。ベトコンがカンボジア国内に多数入り込んだとき、オバケ屋敷を信じない兵隊たちが、この屋敷を宿舎として使用することになった。
しかし、事件は兵隊たちが寝静まった深夜に起こった(らしい)。なぜか翌日、その屋敷で寝ていたはずの兵士全員が、全員揃って消えてしまったのである。近所の人の話によれば、深夜、屋敷の中では兵隊たちの叫び声と、多数の銃声が響きわたっていたという。
そのときからこの屋敷には、誰も近づかなくなった‥‥。
ところが、事件が風化しかかった89年の1月7日にも、恐れを知らぬ多くの兵士が屋敷に泊まり、同じような目にあったという。そして93年。UNTACがこの屋敷を選挙事務所として使うことになったが、夜になると誰もいない部屋からうめき声が聞こえ、戦乱に明け暮れたカンボジアのあらゆる怨念が屋敷に乗り移ったかのように、建物全体に妖気が漂ったという。
このオバケ屋敷は、カンダール州コットム郡プラェクダイ区チャーム村にある。木造瓦葺きで、三つ屋根があるとても大きな家だ。建てるまでには二年の月日を要し、60年に完成している。持ち主はターさんといい、村一番の金持ちだった。
ターさんはその後、極端に変化する政変に耐えきれず、外国に行ったままカンボジアには帰ってこなかった。村人たちは最初、なんの関心も払っていなかったが、事件が起こる度に悪名が高くなり、いまでは誰も近づかず、犬やネズミの住みかになっている。(アンコールトム・4月号)
金満堂の主人が夜逃げ
モニヴォン通りに店を開く、中国料理レストラン「金満堂」にて、3月18日に従業員が出勤すると、レストランの中にあったテーブルや椅子などが全て消え、テレビやステレオ、電話までがキレイに無くなっていた。さっそく大騒ぎとなり、警察が調査を始めた。
大家の話では、11カ月分の家賃が未払いとなっており、それが合計で一万六千五百ドル。そして電気代五千ドルも未払いであることが判明した。その他にも方々に借金があるのではないかと推測されている。
このレストランのオーナーは、チン・ヴァエフンという香港人で、94年からこの場所で営業を始め、現在は中国人の女性マネージャーに、月千五百ドルで店を任せていたという。ちなみにこの女性の名前を知る者は誰もおらず、店内でも「ヴェンター(メガネ)さん」という愛称で呼ばれていた。
彼女が事実上の責任者であったが、二日前から店に出勤してこなくなり、現金も一緒に無くなっていた。従業員は合計24人。警察の話では二ヶ月分の給料が支払われておらず、その上この日の朝、酒屋が来て店の酒をすべて回収していったため、店の中には本当になにも無くなってしまった。
(ラスメイカンプチア・3月20日号)