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○田技研いじめ問題その4・闇の勢力に加担し、地獄の魔物の仲間になる



 ○田技研鈴鹿製作所のいじめは少しも衰えを見せず、今も続いている。
相変わらず、私を見かけると嫌がらせを続け、暴言を吐くことを止めようとしない。気のせいだろうとか、錯覚だろうとか、幻聴だろうという人もいるだろうが、そんなものではなく、あからさまに侮辱する。それも一度や二度ではない。こういう卑怯者は、決してその卑怯な行動を止めようとはせず、いつまでも続けるものであることがわかった。
 対決してはどうかとか、少しは言い返してもいいのではないかという人もいるが、そんなことはとっくにやってみた。ところがこういう連中は、あからさまに対決することは避け、卑怯にも逃げるのだ。
 つまりまともに喧嘩をする勇気はないのだ。自分達が卑劣な行為を知っていることは承知の上であり、もしもどちらが正しいか問いただされると、自分達の不正が明白になるのでそれは避けようとしている。
 こういう連中の手口というのは、いつも集団の中に隠れ、一人で歩いている者や,一人で作業をしている者を侮辱するのだ。何も知らない人は、まるで、その集団の全てが同じ意見であるかのように錯覚するが、実際は、その群れの中の少数意見である。ほとんどは、一人か二人ぐらいの意見であるのだが、たまたま同じ方向に歩いている人とか、同じグループの群れであるにすぎない。多くの場合にはこういうようにいつも他人を侮辱して攻撃する人間は、その群れの中でも嫌われ者である場合が多く、その群れの指導的立場にいるというよりも、仲間外れ的存在だ。
 こういう連中は本当に一日中陰口や悪口ばかり言っている。仕事中も、休憩中も本当に休むことなく他人を誹謗中傷し、嫌がらせを続けている。今日などは、特に祝日ということもあり、世間一般では休日なので、それで嫌がらせをしたくなったのかもしれないが、本当に迷惑だ。 これからいじめ人生を歩もうとしている人に言いたいことがある。あなたは天寿を全うするまで、あるいは病死か事故死か殺害されるかわからないが、とにかく他界するまで、いじめ行為の罪は問われないかもしれない。全てのいじめ行為が発覚せず、処罰されないかもしれない。あるいは発覚しても、実際に罰せられないこともありうるだろう。だがそれでもあなたは勝利したのではない。
 あなたが勝ったのではなく、いじめが勝ったのであり、あなたはいじめの奴隷である。いじめの奴隷であるあなたにはいかなる栄光もなく、勝利の達成感もないだろう。いじめは地獄の戦術であり、鬼や悪魔の所業だ。それに加担して勝利したのであれば、あなたはその仲間入りだ。地獄では大いに歓迎されるだろうが、天国にはいけないだろう。
 もしもいじめの常習犯が、天国でうろうろしていたらどうなるだろうか?それだけでもうそこは地獄だ。いじめによって、何の関係もなく、何の罪もない他人を自殺に追い込んだら、それは表面的な法律では処罰できなくても、明白な殺人行為だ。それは本人が誰よりも自覚しており、何度もそれは思い出される。そしていつか自分も同じ様になるのではないかと恐れるだろう。
 いじめの加害者は罰せられなくても負け組みで、罪の意識もないならば、良心の呵責はないだろうが、すでに人間ですらない。人間ではないものは、妖怪か、幽霊か、昆虫か、アメーバーだろうが、犬や猫や馬などの高等動物であればいじめが悪いことは知っている。猿ならもっといじめのひどさを知っているが、猿の世界でもいじめはある。
 いじめ攻撃を避けるためにいじめのプロになろうという人が多い。誰かをいじめている間は、自分がいじめにあうことはないからだ。しかし、そのやり方では鬼や悪魔が喜ぶし、同じ罪人になる。
 いじめがはびこる日本には、残念ながらいかに経済発展しようとも未来はない。あなたがもしもいじめがはびこる生物の世界を見たらどうするだろうか?あなたはなにやら不気味な連中が、いじめたりいじめられたり自殺に追い込まれたり、自殺に追い込んだり、吐き気がするような恐ろしいことを繰り返しているのを目撃したとする。
 その生物は非常に小さく、あなたは巨大であったとするならば、どうするだろうか?いじめられる側を助け、いじめる側をいちいち抹殺するだろうか?はじめのうちは辛抱強くそういうこともするかもしれない。だがやがてうんざりして、まとめてすべて抹殺したいという衝動に駆られるだろう。それが起こる可能性はある。
 いじめ人生は勝利しても楽しいものではなく、むしろ生き残ることが苦痛だろう。古今東西、どういう神であろうとも、いじめの加害者に幸福をくれそうな神はいない。
 どの神も、いじめの被害者を救済し、幸福な世界を与えてハッピーエンドというのが普通だ。いじめの勝利者は勝利したように見えても、あらゆる悪事の報いを受けねばならず、いじめの権力者である地獄の魔物に引き渡される。
いじめを駆使し、いじめの奴隷であった者は、いじめで勝っても、やがていじめの主人のところへ戻る。
 いじめの常習犯はこう言う。どこに天罰があるのか?どこに報いがあるのか?どこに神や仏がいるのか?我らはぴんぴんしている。何も罰を受けずに生きながらえているではないかと。
 それは私も不思議だが、答えようがない。ただそういうのは時間の問題だ。たいていは忘れた頃にやってくる。いじめをする者は、法律の網をかいくぐり罰せられないようにうまくいじめをやるが、いじめの被害者や遺族や、親しかった者が,必ず法律を守るであろうと期待するのはあまりにも都合が良すぎはしないだろうか?
 どうして自分達は何の関係もなく、何の罪もなく、何のかかわりもないのに危害を加えておいて、その相手が法を守ることを要求できるだろうか?それどころかいつ何が起きても文句を言う資格もない。
 いじめを大勢でやれば、誰が犯人かわからないだろうから処罰はできないと考える者もいる。だが、罪を人数の分だけ分散できるということはなく、それどころか、主犯格も、少しの役割しかしなかった者も、まとめてあの世行きということが多い。いじめの加害者がどのような罰を受けるのかは、本人にしかわからないことが多い。
 いじめを知りながら隠す学校も会社も組織も安全ではない。いじめに参加しなくても、そういういじめがはびこる組織に所属していると、先ほど述べたいじめ生物の微生物集団のようにまとめて処分されることがある。
 いじめを放置していることは、いじめにかかわらなかった人々にも災難が及ぶ。組織の管理者は、いじめを放置したということで、ただの組織の構成員よりも重い処罰を受けるだろう。
 多すぎるいじめ犯罪のために、日本の安全性は急速に失われつつあり、愛国心も消えつつある。それどころか呪いや怨念が蓄積しており、地獄そのものとなりつつある。表面的には豊かであるように見えても、すでにその巨木の内側は朽ち果てており、邪悪ないじめの妖怪が巣くっている。いじめ人生を歩むなら、それは正義を捨てて、闇の勢力に加担し、地獄の魔物の仲間になるということだ。







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