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禁無断転載




初めのごあいさつ


中国人と韓国人の社会のキャパシティーと組織犯罪


(何故私が古代の歴史を考える必要を感じたかと言う所を説明させて頂きます。)



 この掲示を開いて頂いて有り難う御座います。
 自分としては単に窮状を有りの儘に世間様に伝えて、この日本の中で現在拡大している侵略的な組織的犯罪を阻止して頂き、その動物的な犯罪に依る無惨な被害を少しでも早く食い止めて頂きたいとする当たり前の気持から成る記述で有ったのですが、参照数が下がった所を見ると単に嫌われてしまった様で有ります。
 (’89/3/21現在、ニフティーの掲示板に置ける二ヶ月ほど続いた平均200人以上の参照数が、150人以下に下がってしまいました。)

 自分としては世間がひっくり返る様な大事件と言う認識で有ったのですが、最近はどうも、拍子抜けしてしまった感じです。
 何故この様に、大事件で有っても全然世間様が反応しない時代に成ってしまったのかと考えて見ると、第一に上げられる理由は彼等中国系韓国系居住者(黒社会)の方々の日頃の生活ぶりが有ると思います。

 彼等の破壊力はと言うと軍隊の特務工作員と同じ、と言う感じで有り、イメージで言うと日中戦争当時の便衣兵、或いは日本の忍者の中で物の怪に取り付かれた様な
人間達の集団、と言う所なので有りますが、彼等の日頃の生活ぶりはその様な破壊力の存在を全く感じさせないもので有ります。
 彼等の実体を知っている人間にとっては、全く違う人間がそこにいる様に感じられる程です。
 
 そうした技能と言うか特質は、一つの民族性で有るのかも知れません。 私の住む秋田県は、殆ど彼等による恐怖社会と言う形を呈しているのですが、それ程彼等の実体を知る者が多いこの社会で有っても、つまり、彼等から被害を受け彼等の実体を知る日本人が最も多くいるこの自治体社会に置いても、何の解決策も見えない状態です。
 
 その様な諦めを現す言葉に、
 「何しろ、あの様振りだからな。
 被害を経験した日本人以外には、絶対あいつらの本性を見抜く事は出来ねぇ。
 そして一旦あいつらの攻撃の的にされた人間は、雁字搦めにされて何も出来ない状態にされる。
 で、あいつらをうち破るには被害を経験しないで自由の身でいる日本人の組織的な活動が無ければダメだ。
 所が、あいつらと言うと、既にこの日本の国の中で日本人の考える秘密警察以上の組織と技術を持っている。勝てねぇだろうな。
 おそらくはこのままズルズルと、何処までもあいつらに持って行かれる事に成るだろう。」 この様な言葉が有ります。

 日本人社会の最も大きな弱点は、信じやすいと言う事で有ったかも知れません。証拠が無くとも、相手が必死に訴えていればそれを信じる。
  少なくとも同情する。
  頑として動じないで白を通し続ければ、その人間を信用する。日本人社会の歴史の中では、上に上げた三つの要点を満たしている事は、被害を受けて生活を失う事に至るのでは無く、善人として高い評価を受けて来たので有り、真贋を占う事に置いては、寧ろ上に上げた三つの要点を惹起する様子が有るか無いかで判断して間に合っていたのです。
 
 言ってみれば日本人に置ける言動のキャパシティーを前提とした場合には、証拠が無くとも、相手が必死に訴えていればそれを信じる。少なくとも同情する。頑として動じないで白を通し続ければ、その人間を信用する。こうした事で騙されたり、生活を破壊されて失う様な羽目に陥る事は無かったのです。

 所がここに、秋田県社会で用いられる言葉で有る「様振り」と言う言動のキャパシティーが有ります。
 どの様な動物的で非道な事を行い、どれ程明確な物的証拠を示されても、そうした事件に付いては全く与り知らない人間と同じ反応を示す事が出来ると言う事を、秋田県では、「様振りがいい。」と言います。
 
 たぶん、発音としてのこの言葉は北京語やハングル語にも有ると思います。
 彼等の社会では、出世できるか出来ないか往々にしてこの「様振り」が評価の対象にされますから。同じ様な意味の言葉に、
  「雰囲気が出てる。」
  「いい雰囲気持ってる。」
と言う言葉が有ります。いずれ、秋田県以外の日本人も往々にしてその様な言葉、会話を耳に入れた事が有るのでは無いでしょうか。

 「様振り」とか「雰囲気」と言うのは、彼等の社会に置いてはそれだけ重要な意味を持っているので有ります。
 兎に角、日本人なんぞは彼等にどの様な酷い目を合わされても、翌日彼等のその「様振り」を見せられると言うと、寧ろ自分の認識の方を疑いたく成る、と言うところも否めません。
 被害を経験させられている人間達にしてもその位ですから、彼等の本性を知らない日本人に彼等の本性を認識させ、緊張感を持った何らかの対応を求めると言う事が如何に容易な事で無いか、と言う所が思いやられます。

 兎に角、彼等の様振りを前にした場合、日本人社会はろくに太刀を合わせる事なく、呆気なくしてやられる、と言う所が実状で有ると思います。
 考えて見れば従軍慰安婦話とか南京大虐殺話とかも、こうした様振りにしてやられたと言う所で有ったかも知れません。

 労働争議の様な圧力を掛けて、居留地の周辺市議会の全会一致の反対を抑えながら、無理矢理に日本入国を果たして散々暴れて置きながら、
 「自分達は強制的に連行され、強制労働をさせられた。」
 この調子で有ったと思います。
 戦後処理の中で、強制送還を押さえ付けながら日本の国に居残り、次第に情けを掛けて貰いながら日本の良好な住環境を獲得し、出世しながら、在日北朝鮮人の生活に圧迫を加え、差別される人間の劣悪な生活状況を日本人社会に印象づけ、自分達はいつの間にか代議士や裁判長のポストを多く獲得するに至っている、と言う所が実状で有ったのでは無かったでしょうか。

 劣悪な民族社会に対して過分の信用をした日本人社会を軽侮する様に、
 「自分達の祖先に置ける戦争被害に目を向けろ。
 謝罪できない人間は、人間としての資格が無い。」
 この様な感じです。

 ここに付け加えさせて頂かなければいけないのは、彼等は昭和27年に放射線発生装置を悪用した暴力行為によって二世の人間まで国籍を剥奪され、強制送還される
と言う事を経験しながら、現在まで同じ放射線発生装置を悪用した暴力行為を行い、日本に対して地域的な侵略行為を及ぼしていると言う事で有ります。

 彼等民族社会特有の「家」制度の中に、完全に日本人を取り込み、決して彼等の意に違わない様な仲間にする為に、楽しみながらそうした拷問的暴行を加え続けて屈服させ、婦女子に裸に成る事を求め、秘部を晒し、十人ほどの人間に何度かずつ挿入させビデオに収めさせる、糞を食うところをビデオに収めさせる、男で有れば相手の男性のシンボルを加える所をビデオに収めさせる、いわば宗教的儀式の様にそうした事を徹底して行うのです。

 私は実際に何人かの人間にそうした被害を教えて頂いたのです。
 決してその言葉に、何の虚飾も無い事を確信して居ります。私は自分の目を信じています。後の日本人の犠牲を抑える為に、自分を犠牲にする様に、私にその真実を教えてくれた女の子達、日本の男児のその表情を、私は毛頭疑う事が出来ません。
 この私の確信は、彼等を余りに尊敬しすぎているせいかも知れません。私は仏教徒的にそこで自決せず、キリストの導きに従う様な、その辱めに耐え抜いて来た彼等の忍耐力に敬服しているのです。

 真実で有れば、次第に明らかにされ、彼等中国系居住者と韓国系居住者が日本人に及ぼした被害の大きさは、いつかはきっと明らかにされる日が来るものと感じています。
 彼等に情けを掛け、心を開き、日本人社会の良好な生活を分け与えた人間に対して、彼等が及ぼした行いは、決して許される事では無いと私は確信して居ります。
動物的な欲求の儘に活動し、善良な人間の生活を破壊しながら、自分達はその良好な生活を満喫しているなど、それが許されているなど、とても当たり前の世の中とは思えません。
 真実は、必ず次第に明らかにされて行くものと私は信じています。

 この様に彼等の民族的に強く示される組織的犯罪性を目の当たりにする事を経験すると彼等の全てを信じられなく成ります。
 今回の掲示では、その中でも彼等民族がこれまで世界に信じ込ませていた彼等の歴史に付いて掘り下げて記述して置きたいと感じて居ります。

 私は学の無い単純労働者なので、詳しい事は分かりません。ただこれまでテレビ番組の中で時折耳にした気になる事を記憶しているだけです。
 そしてその記憶する所と矛盾する社会の現象に疑問が浮かび上がって来るのです。
 
 例えば中国の古代の文明やそれを有していた帝国を象徴するものとして「古銭」が有ると思います。その存在の意味する所は、
 「西暦一世紀頃にして、既に貨幣を流通させていた先進的文明国で有った。」と言う様な所で有ったと思います。
 
 現在でもその古銭の展覧会が有ったり、その時代の宝物の展覧会が有ったりするのですが、確か12年ほど前に、彼等が誇りにしていた17センチの長さの鉈型貨幣は、比較的最近作られた偽物で有ると言う事が報道された時が有ったのでは無いでしょうか。
 一緒に陳列されていたその時代のものとされる貨幣に関しても同様のものとして報じられていた様に私は記憶しております。
 数年程前には、日本のたたら遺跡を真似た鍛鉄製造所跡が偽物で有ったと言う事が報じられたと記憶しております。

 前者は成分分析装置に依って判別され、後者は日本人の学者が持ち帰った砂に対する年代測定装置に依って判明した様に記憶しております。
 二年ほど前には同じ年代測定装置に依って、南京大虐殺の被害者の遺骸が積み重なっている層として中国政府と証人から案内された場所の骨が、旧日本軍が大陸に侵攻する100年ほど前のもので有ったと言う事が判明していると思いま
す。
   
 一方その年代測定装置に依って、日本の吸収で発掘された貨泉と言う貨幣は一世紀に作られたもので有る事が確認されていると思います。
 たたら遺跡を見ると、6世紀に置いて大和朝廷は既に鍛鉄製造技術を確立していたか確立しつつ有った事が窺えます。
 
 北京語と言うと、現在では中国の公用語ですが、文字の普及率が普及したのは1912年に旧日本軍の指導に依って<注音字母>を制定してからで有ったと認識して
居ります。 つまり日本語から平仮名的要素を吸収しなければ未完成の文字の儘で有ったのです。
 訓読みの北京語に対して、南部の広東語を考えて見ますと音読みだけの言葉です。
 どの様に発音するのかと言うと、単に日本語的発音と比較すると、舌を下顎に張り付けて発音するだけの違いです。

 漢字文化とその言葉は、中国で生まれて日本に伝わり、日本の中で急速に発展したものでしょうか。
 それが事実で有るかも知れません。
 しかし私はそこに敢えて反論的論証を試みる必要性を覚えるのです。

 もし、白幸水を常飲している在日中国人が多く占める日本の考古学会と中国から発信されて来た、中国の古代の歴史が全て捏造されたもので有ったとするならば、漢字とその言葉の発祥の地は中国で有ると拘る必要が有るのでしょうか。

 文字の実用性と発音を比較した場合には、明らかに中国語より日本語の方が優れていると言う事に成ると思います。
 寧ろ漢字と言葉は日本で発生し、中国に伝えられ始めたものの、梁の国が陳に滅ぼされた時点で不完全な形で影響感化が途絶え、中国漢字は不完全な儘、歪に発展してしまっていたと言う事も有り得る事で有り、現代に置いて一般に認められている考古学的概念には反するものの、言葉の熟成度を比較した場合には寧ろ整合性の有る捉え方でさえ有ると私は感じます。

 一旦は考古学的に認められていた、中国の鍛鉄製造所や貨幣に関してはその殆どが贋物で有った事が事実で有り、年代測定器で確かに西暦前の宝物で有る事が確認されているとしても、同様のものがイランに有り、中国に依ってイランから古物が買い付けられている
事が確認されれば、現在の考古学的既成概念はどれ程信用に足りるもので有るのでしょうか。
 少なくとも宝物に関しては物理的に幾らでも実践できる事で有り、その気に成れば容易に出来る事で有ったと思います。
 
 概して宝物が作られたとする後漢の時代にはどれ程中国は経済大国で有ったと言い得るのでしょうか。
 イランの様に地面から油が涌き出ていたのでそれを売って宝物を買い入れる等と言う歴史が有った分けでは有りません。経済大国化するとすれば、タイの様に農業の発展に依るもので有ると思います。
 で、中国で農業の発展が見られる様に成ったのは、唐の時代に入ってからでは無かったでしょうか。

 唐の都は長安と言うところで、現在の西安と言う所の様で有ります。で、その西安には最近に成って巨大な大石寺が建てられているのですが、漢の時代に建っていたとされる巨大な仏教寺院の跡地の上に建っていると言う所が触れ込まれていたと思います。
 ですが二年程前に、その大石寺の建物の下にも、土地の何処にも古代の建物が建っていた形跡が無い事が確認されたと思います。 

 この様に古代の歴史を知る為の物的証拠を幾つか辿って見ますと言うと、甚だ懸念を感じる所が生まれて来るのです。
 一般的な考古学的既成概念とは、年代測定装置を拒み続ける、中国人が本物だと言う随代以前の史書や教典に基づくもので有るに過ぎないと私には感じられるので有ります。

 勿論唐の時代には、日本にまでイラン人、インド人、ベトナム人が見えている様で有りますから、中国に置いても相当に外国の文化を吸収する機会が有ったと思います。
 ですが、言葉一つを取ってみても、吸収能力の高い民族社会で有ったでしょうか。
 現在見られる傾向としては、寧ろ日本が先に吸収したりしたものに独自の開発を加えて中国に技術支援すると言う傾向が強いのでは無かったでしょうか。
私には、人間の性格に置いても社会の資質に置いても、今と昔はさほど違わない傾向が有ったのではないかと言う懸念さえ浮かんで来るので有りますが、如何なものでしょうか。
  
 大きな慚愧の念から、小さな懸念を感じるに至り、そこから更に思い切った見地から掘り下げて考えて見た、と言う所を他にも記述して見ました。
 お時間の有る時にでもお読み頂ければ幸いです。 
 そして識者各氏の方に置かれましても、思い切った冒険的な新しい角度からの検証を試みて頂きたいと感じております。

 ここまでお読み頂き、有り難う御座いました。
 識者の検証を得られれば幸いです。







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