怪文書保存館TOP
禁無断転載


あなたにもできる! 簡単洗脳講座

・始めに
 現代という時代は、非常に洗脳のやりやすい時代であるといわれる。金儲けと競争に明け暮れ、偽りに満ちた、物だけは豊かな時代。そういうものに嫌気のさした人間は、老若男女を問わず、「新・新宗教」や「自己開発セミナー」などに精神の豊かさを求める。

 そしてそれらの組織は、「顧客」を獲得するためのテクニックに長けた、練達のスペシャリストを揃え、罠を張って獲物を捕らんとする蜘蛛のごとくに待ちかまえている。
 以下に挙げるのは、ほんの一例である。実際の洗脳は、基本を同じくしながら、さまざまなバリエーションを持って行われる。
 なお、この書き込みは、いかなる実在の集団・個人・事件とも関連はない。


・勧誘
 ここに一人の若者がいる。そこそこの大学で、勉強も遊びもそこそこにこなし、深い付き合いはしないが友人は多い、「私大文系偏差値そこそこ」などと言われて多くの人が思い浮かべる、そんな若者だ。
 ある日、彼は突然の電話を受ける。声を聞くのも数年振りの古い友人から、
「今度の土曜日は暇か?」と(多くの場合、それは異性である)。引っ込み思案だった昔と違い、妙に自信にあふれた、押しの強い喋り方だ。「素晴らしい所に連れていく」「お前のためになる」などと言うばかりで、詳しいことは教えてくれない。「忙しい」などと口実をつけて断っても、それ以来、毎週のように電話をかけてくる。「久しぶりに会いたいって昔の友達が言ってるのに」という口説き文句に、ついに断り切れなくなってしまう。
 友人に連れていかれたのは、「真理の集い(*1)」なる催し物だ。「真理」という言葉に何か胡散臭いものを感じながらも、友人の手前、参加を余儀なくされる。受け付けで、住所・氏名・電話番号を記入し、千円の会費を払うと、妙にがらんとした感じの部屋に案内された。周囲を見回すと、半分ほどはこの回に初参加のようだ。初参加の人間は、みんな自分のように誰かに連れられての参加に見える。
 やがて催しが始まる。白い質素な服を着た青年が話し始める。「自己を救済し、その上で他人も救済する。大乗でも小乗でもない、新しい仏教である」というような内容であった。この時点に至るまで、若者はこれが宗教の集まりであることを知らされていなかった。
 やがて、部屋の角にあるテレビに、「尊師(*2)」と呼ばれる教祖の説法ビデオが映し出された。その見覚えのある顔に、若者はようやくこの集まりが、一部メディアによってバッシングされているある宗教団体の主催するものであることに気付いた。
 横を向いて友人に文句を言おうとすると、既に友人は目を潤ませて、尊師のありがたい教えに耳を傾けている。その尋常ならざる眼の色に怯んでいると、不意に肩を叩かれる。おそるおそる振り返ると、そこには先ほどの青年と、数人の同じ服を着た男女がいた。彼は別室に誘われ、そこで面接のようなものを受ける。友人も同伴だ。
 彼らは、若者の痛いところを衝いてくる。「優柔不断で消極的な自分への不満」「社会に対する漠然とした不満」「第一志望の大学に落ちて、滑り止めの学校に通っている挫折感」・・・。そして、そんな自分を変えるために、修行するべきだと勧誘する。彼らは言葉巧みに説得する。「今を逃せば、君(若者のこと)はずっとそのままだ」「参加しなければ、せっかくのチャンスを失うことになる」などと。
 そして、表面的にはけして無理強いはしない。「信者になれとは言わない。自分の精神修養だと思えばいい」などと、彼の恐れをなくすように、極めて穏やかに勧める。1週間という時間がないわけでもなかった。7万円と言う金額も、テレビなどで騒がれているほどに高額ではないし、けして払えない金額でもない。友人も「無ければ貸す」とまで言ってくれている。
 未知の世界への好奇心、人の誘いを無下に断ることへの気後れ、そしてなにより、彼らの指摘したように、「自分を変えたい」という思いから、ついに若者は「修行」への参加を承諾した。
 入信したわけではない。入信の勧誘をされた時に断ればいい。その考えが落とし穴である。決定を先送りし、ずるずると相手のペースにはまり、よけいに断りにくくなっていく。相手はそこまで計算しているのである。


・第一段階/隔離
 東京をはなれ、霊峰富士を仰ぐ、山梨県の某所(*3)。その宗教団体の所有する道場に、若者を含む数名の「修行者」は連れてこられた。なんと、あの集いの翌日である。「いいことはなるべく早い方がいい」とは彼らの言葉だ。友人が家まで来て準備などを手伝ってくれた。そのまま友人は泊まっていって、翌
朝早く、参加者の集合場所まで送ってくれる。若者は、その迅速さと友人の親切に関心する。
 それは、その団体に関する余計な知識を知るまえに洗脳するためであり、友人の親切も、そのような書物・雑誌などを読んでいないかを調べるためなのだが、若者は気付かなかった。


・第二段階/追い込みと注入
 さて、道場に案内されるとすぐに、舌を噛みそうなインド風の名前の「〜大師(*4)」なる人物によって講義が始められた。最初に、参加者は自分の嫌な部分、変えたいと思っている部分を告白させられる。大師の巧みな誘導尋問で、自分の醜い部分をさらけ出され、精神的ショックを受ける。
 次に、テキストを利用した講義に移る。内容といえば、教祖の書いた本を読み、それに関して説明を行うだけの、ごくありきたりのものだった。唯一若者の興味をひいたのは、「修行すれば誰にでも超能力が使えるようになる」というくだりだった。
 午前中一杯の講義が終わると、昼食が用意されていた。何やら怪しげな「特製ドリンク」とバナナ一本。先ほどのなんちゃら大師が説明するには、「体内を浄化するためで、修行の一部」だそうだ。そんなもんかと、深く考えずにそれらを口にする。その間も、天井近くに据え付けられたスピーカーからは、教祖の本の朗読が流れ続けている。食事の後のわずかな自由時間にトイレに行くと、驚いたことにそこでも同じような説法が流され続けている。
 午後は、先ほどとは違う大師によるヨガの時間。安っぽいウオークマンを渡される。それを聞きながらヨガをやる。テープには、教祖自らが唱えた、ありがたいマントラがえんえんと録音されている。それを聞きながら、大師のすることを真似する。一人ひとりに補助がつき、優しく手助けをしてくれる。テープの片面が終わると、ひっくり返して聞きながら、今度は瞑想。テープには、さっきと同じようにマントラが入っているが、違うところが一つ、ポッポッという単調なリズムが、時報のような音で入っていることだ。何も考えずにそれを聞いていると、半ばまどろんだような心地よい感じになる。
 テープが終わると、瞑想は終了。軽く体をほぐし、再び講義が行われる。内容は午前のものと同じ。
 午後六時、夕食。メニューは昼食と同じ。スピーカーから本の朗読が流され続けているのも同じ。
 夕食後、再びヨガ→瞑想→講義のパターン。終わったのは、時計がないため若者にはわからなかったが、夜中の2時過ぎであった。スピーカーから流れる説教は、音量は小さくなったものの、依然として続いている。
 2日目。日の明けない内に起こされる。昇る朝日を浴び、大師の主導で、全員で「オーム・オーム・オーム(*5)」と唱える。
 朝食前に、1lの塩水をのみ、そして吐く。体内を浄化するためだという。朝食はまたも同じメニュー。午前中は講義。前日と少し違うのは、講義の合間に、先輩達が「この修行で自分がどのように変わったか」という話をする。寝不足と空腹で判断力の鈍った頭には、ありきたりな話でも感動的だ。
 昼食→ヨガ→瞑想→講義→夕食→ヨガ→瞑想→講義と、ルーチンワークのようにきっちり決められたカリキュラムが進む。回を追う毎に講義は熱気にあふれ、先輩達の体験談も、感動的で、超常的な話になる。就眠はまたも深夜。スピーカーからは、24時間何かしら流されている。
 3日目。2日目と同じ。
 4日目。3日目と同じ。ただし、夕食の量はそれまでの半分になった。
 5日目。起床後、体内を浄化するための塩水の量が普段の2倍に。さらに、今日と明日は断食だと教えられる。水も、教祖の念の込められた水をコップに3杯と決められる。講義→ヨガ→瞑想が何度も繰り返される。寝ることも許されない。時計もなく、外に出ることも禁じられ、参加者は時間の観念など、あらゆる感覚が麻痺してくる。頭の中が空白になり、マントラや教祖のお言葉、大師の説教などが頭の中に始終響いている。
 この頃になると、洗脳する側も巧妙に話題をすり替える。「君達の親は真理の光を知らない」「早く逃げ出して尊父(教祖)の下につくられる新しいファミリーの一員となれ」「財産を持つことは罪である」など、普段ならば受け入れられることのない極論も、この状態の参加者はたやすく信じてしまう。
 既に参加者達には、個性と呼び得るものはほとんどのこっていない。


・第三段階/挫折の克服、告白と一体化
 6日目夜。参加者達には既に時間の感覚はない。40時間以上も起き続け、空腹は局限に達している。講義の後、一人づつ自分の変えたいところ、自分の嫌なところを告白させられる。大師達は、それまでよりさらに鋭く、尋問のように言葉で参加者の心をえぐり、心の醜い部分をすべてさらけ出させる。冷酷に、無慈悲に。
 すべての参加者の告白が終わると、教祖の写真が引き出され、参加者は、その前に体を投げ出し、すべてを告白し、許しを請うように勧められる。そうすることによって変わることができる。感動的な話をしてくれた先輩達が、自分達もそうやって変わったことを強調する。
 一人が体を投げ出す。するとどうだろう、さっきまで鬼判事のように舌峰鋭く彼らを問い詰めた大師達が、優しく、暖かく、告白した人間を祝福しているではないか。参加者達は我先に告白を始める。全員が告白を終えると、参加者と大師、さらにその道場で居住する出家者、先輩達も含めて、大夕食会が催される。もちろん、壁には尊師の御真影(写真)。食事の前には神と教祖への祈りを捧げる。彼らは尊師の下に限りない一体感を感じ、自ら進んで入信する。
 この時点で告白しない人間には、半ば強制的に告白させる。告白させた後は、彼の告白以前の人生がいかに間違っていたか、告白がいかにすばらしい体験であったか、それを繰り返し言い聞かせる。大師や先輩達だけではない。今まで一緒に修行してきた参加者達も、一緒になって彼を説得する。こうして洗脳は強化される。


・第四段階/洗脳の強化、被洗脳者の再生産
 7日目。すべては終了した。参加者達は皆一様に、虚ろで焦点の定まらない目をしている。いったんは家に返され、在家の修行者となったり、出家したりと人それぞれである。
 さて、彼らへの洗脳はまだ完全ではない。放置しておけば洗脳は解けてしまう。そうなった者を再洗脳するのは容易ではない。そこで教団は、勢力拡大と洗脳の強化の手段として、彼らに布教活動を行わせる。彼ら新参者は、教団の教えや世界観を体系的に理解しているわけではない。時には相手に突っ込まれてボロを出す。しかし、教えや世界観を言葉にし、他人に説明するために、全体を理解しようと勤める。今度は自分が先輩として、新しい参加者達に告白の感動を伝える。そういった経験を通じ、洗脳は深められ、完璧になっていく。

・まとめ
 もう一度、簡単に洗脳のプロセスをおさらいしよう。

(1) 参加者を日常から切り放し、隔離する。
(2) 精神的空白の状況に追い込み、そこに洗脳する内容を刷り込む。
(3) 大きな壁を乗り越えさせ、それによって、参加者に一体感を感じさせる。
(4) 洗脳内容を再確認させ、強化する。

 以上の四段階を経て、洗脳は行われる。上記の例はあくまで基本である。実際には第二段階で肉体を傷つけ、相手の身体的欠陥などを罵倒して自尊心を失わせるのは常套手段であるし、第三段階の「大きな壁」が殺人(親しい友人や血縁者、弱者ならなお良い)であったりする。


・逆洗脳、あるいは解体
 宗教団体を脱会する。それは決して楽なことではない。教団や仲間は、あらゆる手段を用いてそれを阻止しようとするだろう。再洗脳も試みるだろう。なぜなら、信仰を捨てる人間を許容することは、彼らの世界の崩壊につながるからである。しかし、やめようという強い決意さえあれば、結局はやめることは可能である。
 問題になるのは、本人にその意志がなくて、家族がやめさせたいと考えている場合だ。その場合、まず本人の身柄を確保することが困難だ。本人が家に帰ることを望まない以上、誘拐のような形になることは必然だ。その途中、「お父さん目を覚まして!」とか「助けて!」などと絶叫され、あらぬ誤解を受けることにもなろう。そうならないためにも、専門家に頼るべきである。
 さて、ターゲットの身柄を確保したら、邪魔の入らない、教団に悟られない場所に隔離する必要がある。逃げ出さないようにするためもあるが、洗脳の時と同じように、隔離する必要からだ。
 ターゲットは、最初激しく抵抗する。そのために、イスやベッドなどに縛り付け、暴れない様にする必要があるかも知れない。彼は暴言を吐き、罵り、わめき散らすだろう。しかし、怯んではいけない。彼の言葉や態度に怯みを見せれば、逆洗脳はとたんに難しくなる。
 逆洗脳は、信仰の矛盾を衝いていくことで行われる。チベット仏教を基にした団体ならば、ダライ・ラマの教えとの矛盾を説き、キリスト教系なら、いかに聖書の教えをねじ曲げているかを指摘する。
 それは粘り強く、根気良く行わなければならない。その宗教が基にしている宗教に関する豊富な知識と、相手の教義に関するある程度の知識を持ち、忍耐強く、自信にあふれた人物でなくてはつとまらないだろう。
 ターゲットが、わずかでもその教義の矛盾に気づけば、あとはそこから切り崩していけば良い。しかし、そこに至るのは容易ではない。数日間、時には数週間かかることもあるだろう。しかし、最初の突破口が開ければ、ターゲットは過ちに気付き、懺悔し、自分が洗脳されたことを知るだろう。
 しかし、それで終わったわけではない。洗脳したばかりの時と同じように、ターゲットは非常に不安定で、なんらかの刺激で元に戻ってしまう可能性がある。そのため、さらに数週間は隔離を続け、常に周囲に誰かがいて、観察を続ける必要がある。一度逆洗脳した人間が再び洗脳状態になると、それを再び逆洗脳することは難しい。しかしまた、その数週間を乗り越えれば、同じ方法で洗脳するのは難しくなる。いわば免疫ができるわけで、そうなれば安心だ。もう二度と同じ危険は侵さなくなるだろう。


KONNY

注:
(1)某宗教団体とは関係ありません。
(2)某宗教団体とは関係ないの。
(3)某宗教団体とは関係ないってば。
(4)某宗教団体とは関係ないったらないの。
(5)オームとはマンダラ(真言)の一種であり、特定の宗教とは関係ありません。







禁無断転載
怪文書保存館TOP