怪文書保存館TOP
禁無断転載


「新・純潔主義宣言」

 人は誰でも、愛し愛されたいと願っています。愛の貴さを否定する人はいません。
心の発露である多くの文学、芸術は、愛を抜きにして語ることはできません。口ずさ
む歌に男女の愛を歌ったものが非常に多いのも、それほど愛が私たちにとって大切な
ものであることをあらわしています。

 しかし今、この愛が秩序を失いつつあります。愛することと性関係を持つことが同
一視され、遊び心で簡単に不特定多数の人と性関係を持ってしまったり、不倫がさほ
ど罪悪視されない風潮があります。中でも、結婚するまで男女ともに貞操を守ること
が軽んじられる傾向があることは、憂うべきことです。
----------------------------------------------------------------------------

☆愛は互いに高め合うための努力☆

 「恋愛」と「愛」の違いはどこにあるのでしょうか ?
 愛の本質は「為に生きる」ことです。親子、夫婦、兄弟、友人同士がお互いの為に
生きること、それが愛です。愛には、子に対する親の愛、親に対する子供の愛、兄弟
同士の愛、隣人愛、博愛などがあり、成長にしたがってその範囲は拡大していきます
。男女の愛(夫婦愛)もその1つですが、ほかの愛と異なるのは、唯一の一対一の性
関係を許される愛であるという点です。
 それでは、「恋愛」とは何でしょうか。恋は他人だった二人を急速に親密にします
。そこには、お互いの違いを認識する時間はありません。そのように急速に高まる感
情は、愛といえるでしょうか。愛は感情以上のものであり、感情は愛の一つの要素で
しかありません。
 また、恋愛をすると、二人だけの時間を持とうとしがちです。周りのことも気にせ
ずに長電話したり、仕事も勉強も手につかない状態になることもあります。相手に心
を奪われ、自分の考えをコントロールできなくなってしまうこともあります。やがて
二人は愛の証として、性関係を持つようになります。しかし、時間とともに自分の描
いていた理想と現実の違いや、お互いの意見や性格の違いを認識するようになります
。「愛している」と思っていた人と一つになれない現実に、不安や焦りを覚え、「感
情」は次第に冷めてしまいます。
 なぜ、そのような結果になるのでしょうか。それは、お互いの心が相手を受け止め
るだけの器に成熟していなかったからです。愛とは、自分の意志で努力し、高めてい
くものであり、相手をありのままに受け入れ、良きところは学び、不足な点は補い、
互いに人格を高めあっていこうとする努力のことです。そのため、犠牲と責任を伴い
ます。一方「恋に落ちる」には何の努力も必要ありません。これが愛と恋の大きな違
いです。愛には明確な人格の向上という目的意識と、それを実現しようとする意思が
必要なのです。

☆愛と性は主体と対象の関係☆

 それでは性とは何でしょうか。今日「愛」と「性」が同一視され、「性」という言
葉は「性行為」と同一のものとして考えられる傾向があります。まるで、食事を楽し
むように、性とは楽しむものと考えている人も多いのではないでしょうか。たしかに
愛と性は切り離すことはできませんが、両者の関係において重要なことは、愛の優先
性です。人間は性関係を持たなくても死ぬことはありませんが、愛を失えば絶望し、
自殺してしまうことさえあります。愛と性は、主体と対象の関係であり、愛に裏打ち
された性こそ本来の理想なのです。 また、性欲は人間の本能ですが、性欲と愛を同
一視したり、性欲を満たすことが愛をもたらすと考えるのも間違いです。「愛してい
る」という時、自分の性欲の正当化でないかどうか、自分の動機を吟味してみる必要
があります。

☆初愛は永遠の伴侶に捧げるもの☆

 人間が成長していく過程には、多くの訓練が必要です。一流の音楽家になるために
は、それに見合う練習や学習が必要です。それと同じように、真に人を愛するには、
相手をよく知るための忍耐と努力が必要です。人間として成熟するためには、愛する
能力を高めることに専心し、安易な肉欲を満たすための性関係を求めるべきではあり
ません。たしかに性的な欲求は自然な衝動ですから、それを押さえるのは難しいこと
です。しかし、結婚まで自己を抑制することによって、一生のうちで最も多くのこと
を吸収することができる青春時代を、自分の個性や能力を伸ばすことに費やすことが
でき、幅広い友人を作ることができます。そして何よりも将来の配偶者に対する自分
の誠実さに自信が持てるようになります。初愛は強烈な印象を残すものです。永遠を
共にする伴侶に捧げる初愛は、二人の永遠の愛の思い出になります。逆に、多くの異
性と肉体的関係を持ってしまえば、やがて将来をともにする伴侶を迎えた時、その人
への愛が深ければ深いほど、過去のさまざまな異性とのことが、耐え難い呵責となっ
てしまうのです。
 これらを総合すると、結婚するまでは、兄弟愛、隣人愛の範囲の中で、できるだけ
多くの人を心から受け入れ、愛することができるような自分になること、将来の伴侶
となる異性とともに、永遠をかけて良き家庭をつくるに足る自分になること、そして
、その異性が永遠のパートナーとしてふさわしい人であるかを、見極められる自分に
なることに専念すべきだと、私たちは訴えたいのです。

詳細(前編)

詳細(後編)

HOME PAGEへ







禁無断転載
怪文書保存館TOP